9.「自己責任論者」は責任を取らない

「高齢者は集団自決を」発言で批判されている言論人がいる。

飲食店で悪ふざけをして大炎上する若者が定期的に出てくるように、この手の「バッサリ切り捨て論」で炎上する言論人も定期的に出てくる。

前者は自分の事を賢いと思っていないだろうが、後者は自分の事を賢いと思っているであろう。

話の本筋ではないのだが、いつもこの手の言説で引っかかるのが「あなたがその立場になったら、切り捨てられるのを素直に受け入れますか?」と問いたくなることだ(即答で「はい、受け入れます」と反応したら認められる言説ではないから本筋ではないと思いつつ)

私の10年来のネット上のフォロワーに「自己責任論者」の人がいた。
非常に露悪的で、「税金じゃぶじゃぶ使う高齢者は◯◯すべき」と、成田悠輔的なことをずっと言い続けているのだが、彼の場合は匿名かつ影響力もほとんどなかったので炎上することは無かった。

見ていて不快にはなるのだが「世の中にはこんな人もいるんだという観察としてはいいのかも」と自分を言い聞かせ、フォローを解除することはなかった。

ある日、この人が難病にかかり命が危ないことを知る。いつも露悪的に社会についてぶつくさ投稿していたアカウントの雰囲気がかわり、珍しく弱音を吐いていた。

「私は特殊な薬を使わないと生存できず、1日あたり医療費◯◯◯万円が税金で支払われています」との投稿を見たので、思わずDMをした。
「○△さんは自己責任論者で、今のご自身の環境に罪悪感を覚えているかもしれませんが、そんなの気にせず使える制度は全部使いましょうよ」と。

彼と初めてDMで長いやりとりを行い、これまでの自己責任論を反省し、医療制度など医療・福祉に感謝する言葉がどんどん出てきた。私は驚きながらも回復を願った。

それから数ヶ月後、彼は奇跡的に回復をする。全快はしていないようだが、最低限の治療で日常生活は送れるようになり、命の心配もないようだ。

こうした大きな経験をしたら、人間は自分の価値観や考えが根本から変わるだろうと思っていた。
しかしその人は、復活後に相変わらず「自己責任論」を続けている。

「時計じかけのオレンジかよ…」と思わずにはいられなかった。

もちろん、人の思想や価値観、美学はそれぞれであるべきだし、私が干渉して決められるようなものでもない。しかし「自分が弱い立場」の終了と共に、自己責任論に回帰するのはダサいだろと思った。

自己責任論そのものを私は支持しないが、自己責任論者は自身が「責任」を取る時には責任を取らないんだろうと思っている。

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