14.「子育ては親育て」というベタな言葉を痛感する日々

私には子どもが4人いる。誕生した時の身体的な性別でいうと、男・男・女・女。
なお、次男と長女の間は7年空いている。

正直に白状すると、自分に子どもができる前は「子どもが沢山いると、1人にかけられる愛情は減るのではないか?」と思っていたことがあった。実際子どもが4人になって感じることは「愛情の総量が増えたから結果的に変わらない」ということだ。(例えが正確か不安ではあるが、ソロアーティト推しとグループ箱推しの違いのイメージ)

「子育ては親育て」とベタな言葉があり、ベタ嫌いの私としてはこの言葉と距離を取ろうと必死ではあったが、子どもが増えるにつれ「親育てイベントも同時に走っている」ことを日々痛感する。

「子育て論」の中で、「男の子の場合〜、女の子の場合〜」と、二分化した性に当てはめる言説をよく見かけるが、実際は「その子による」が正しいだろう。
ベースの性格を考えると、長女と長男はタイプで似ているが、次女は全く違う。それによって、長女と次女で伝える時のアプローチが大きく変わる。また末っ子として7年立ち振舞ってきた次男は、妹が誕生したことでキャラ変を余儀なくされ、今はバランスを模索しているなど、目から鱗な出来事の連続だ。

自分が子育てをすることで自分と親の関係などを改めて考える機会になるし、自分自身の「父親としての権力」も問われる。

子どもたち4人はキャラクターが全く違い、同じ親から生まれたにも関わらず似てない部分の方が多く、「1つの独立した個である」ことを痛感する。子どもは親の付属物でもなければ子分でもない。親が叶えられなかった夢を託す存在でもないことを思い知る。

答えが無く選択肢の多いこの時代、子どもが自分のアイデンティティを確立する過程で「親のキャパ」が問われる。決定するのは子ども自身だが、選択肢を減らしたり決定に介入することは避けたい。

年齢的には一番関係構築が難しい長男に「お父さんガチャは当たり?」と聞いたところ、少しの間の後に「ハズレではない」と冗談混じりに返ってきた。このくらいの距離感で、いい関係を築き続けたいと思う。

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