6.「誰かが私を待っている」と言いながら誰かを待ってました

好きな音楽は無数あれど「これは俺の曲だ」と思えるものは1つしかない

それは毛皮のマリーズ「ビューティフル(2008年)」だ。歌詞の好きな部分にマーカーを引くと、全部引くことになる。実は理解していないやつの参考書、の様になるがそれでもいい。何故なら全部好きだからね。

特に冒頭の「誰かが私を待っていると言いながら誰かを待ってました」の部分が狂おしい程に好きだ。
曲と出会った当時の私は、お笑い芸人という夢を諦め、会社員として勤めながら結婚・子育てをし始めた時期。
“何者”かになりたかったが、“何者”になれず、自分の人生を諦めて会社の歯車として役目を全うするのか…と悲観的になっていた。社会経験を積んだ今でこそ、会社員であることに絶望する必要はないことが分かるのだが、若かった私としては苦しかった。

しばらく会社勤めをしたのち、私は独立をする。自分の信念やビジョンなどには絶対的な自信があったものの、独立して数年は本当に仕事が無かった。会社員の時以上に苦しかった。
その時「誰かが私を待っていると言いながら誰かを待ってました」の部分に何度も何度も救われた。
表現活動をした事のある人間、スタートップでゼロイチ真っ最中の人など、「下積み・耐える期間」を経験した人間の葛藤をかなり見事な一文で表現していると思う。
おかげさまで今現在は(少ないながらも)私を待っている人もでき、このパートは卒業できたのではないかと思う。

そうすると、次に刺さるのは「いつか来るこの日のために 私が大切にしてきたサムシング」の部分である。人から評価され始め、活動が軌道に載ると、自分の気乗りしない、ポリシーに反する仕事のオファーが来ることがある。お金、人付き合いなどが理由で、自分の大切にしているものを“売らざる得ない”ような状況だ。その時に、いつか来る日のためにサムシングを大切にし続けることができるかということである。

曲のタイトルでもあり、サビでも連呼される「ビューティフル」とは、人間ひとりひとりの「美学」なのである。美学を貫けるかどうか。

私もたまにその「美学」がブレそうになることもある。その時にはこの曲を爆音で聴いたり歌ったりして軌道修正をする。

冒頭、“「これは俺の曲だ」と思えるもの”と書いたが、正確には“「これは俺の曲だ」と思いたい”だろう。自分自身が死ぬ時、貫けたかどうかの答え合わせが行われる。

部屋の小物にもひとりひとりの美学が出るよね
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