8.「沖縄そば食べ歩き会」会長として

お陰さまで、様々な肩書きを頂くようになった。またの名を「断り下手」とも呼ぶ。
「沖縄県サイバー防犯PR大使(任期終了)」「◯◯小学校 PTA会長」「沖縄市立学校給食センター運営委員」「那覇市男女共同参画会議委員」などなど。

人生で一番最初の「肩書き」はなんだっただろうと振り返った時に、「沖縄そば食べ歩き会 会長」を中学二年の頃に自称していたのを思い出す。

沖縄そば食べ歩き会は、私と友人の二人だけの会だった。私が会長で、友人が副会長。
二人で遊びに行った時に食べた沖縄そばが美味しくて「これからも二人で食べ歩きをしよう!」とテンションが上がって会の立ち上げを宣言する。
ただ中学生で、交通手段も限られていたため「食べ歩き」のハードルは結構高く、結局「家族で食べに行った沖縄そばの話を私が友人にする」というのが活動の全てだった。

唯一の会員である友人を、私は大好きだった。同級生だったが心の底からリスペクトしていた。
友人とは出身小学校は別で、中学一年の時に知り合う。その当時の学校は、先輩からほぼ強制される形で「タバコを隠れて吸う」イベントが発生する。私もそうした空気感に順応し、隠れてタバコを吸う場所に立ち会ったり、先輩のタバコを買いに行ったりもしていた。
こうした空気感の中、友人は「タバコ吸うにしても自分の意思で吸えよ。空気に流されて悪ぶるやつが一番ダサい」と、法律や校則ではない「美学」の話としてタバコを否定してきた。衝撃だった。
多感で、心身ともに不安定な思春期において、すでに自分の芯を持っていてそれを貫き通す友人がすごくカッコよかった。友だち思いで、みんなから好かれ、人気者だった彼と「二人だけの共有する何か」が欲しくて、当時の私は「沖縄そば食べ歩き会」と言い出したのであろう。沖縄そば以上に、彼の事が好きだった。

別々の高校に進学しながらも、定期的に遊び、彼がやっていたバンドのライブを見にいく自分よりもずっと大人で、三歩くらい先を歩いている…そうして彼の背中を見ているような気がしていた。

高校卒業後、彼は上京する。沖縄料理屋でバンドを続けながら、夢を追っかけていた。
しばらく経ち、私が上京した際も中学のメンバーで集まってよく飲んでいた。西武新宿駅前のマクドナルドで始発を待ったのもいい思い出だ。東京のことも私より知っていた。やはり、先を歩いている。

その後、結婚・子育てに伴い私は沖縄に帰る。そこから、彼や中学の友だちと会う機会はグッと減った。

そんなこんなで、法事で帰ってくる彼と沖縄で久しぶりに会う事になった。
中学時代から尊敬していた友人と大人になって久しぶりに会う。楽しみで仕方がなかったな。

結論から言うと、久しぶりの飲み会は最悪だった。
あんなに尊敬していた彼が、悪い酔い方をして、暴言をずっと吐いて周りがそれを止めるだけの会になった。頑張って公務員になった友人に「公僕は黙っとけ。お前らがこの国をダメにしている」などと管を巻く。美学の話をすると「すごくダサい」ムーブを連発していた。

あの飲み会から10年経ち、彼とは会っていない。連絡もとっていない。SNSも(多分)やっていないので近況もわからない。今振り返ると、その当時の彼は色々なストレスを抱える状況で、信頼していた地元のメンバーだったからあのような醜態を見せたのかな?と思うことももある。

輝いていた中学時代から10年で変な感じになっていた彼が、そこからの10年でいい様に変わっている可能性もある。しかし、ワクワクよりも「怖さ」の方が大きい。彼が変わっていなかったらどうしようと。

今となってはかなり自由に沖縄そばを食べ歩く事ができるようになった。誰に報告するでもないが、一人で食べ歩いている。最近はその度に彼の事を思い出してしまう。そうすると、コーレーグースを入れなくても、思い出が少しだけピリ辛にしてくれる。

沖縄そば…というか宮古そばです
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