11.最初の親友

子どもたちが、保育園で友だちを作る。少し前まで仲良かったけど、今はそんなに遊んでいない…。
覚えたての言葉を一生懸命使いながら日々の報告をしている中で、大人顔負けの人間付き合いがあることを実感する。

私の子ども時代を振り返った時、最初の親友は「たかゆき君」だと断言できる。
保育園の同じクラスで、元々親同士も同級生で知り合い。弟・妹の年齢も一緒だったため、家族ぐるみでよく遊んでいた。少しの間だけど同じ団地に住んでいた。

たかゆき君は優しくて、ドジでおっちょこちょいだった。私もドジでおっちょこちょいだったので似たもの同士だったと思う。保育園で、月齢の早いガキ大将にオモチャを取られてよく泣いていた。ドラえもんののび太君が二人いて、その二人が友人であるかのように。

そんなたかゆき君一家は、10歳ぐらいになると隣町に家を建てて転校をした。
その頃には私も小学校で違う友だちができ、バスケット部に入って帰宅部のたかゆき君とはあまり遊ばなくなっている時期だった。親同士が連絡を取っていることもあり「何かあれば会いに行ける」という感じであまり寂しさは無かった。実際、何度か新築のお家に遊びに行ったり、むしろ楽しさの方が優っていたかもしれない。

こうして違う友だちと遊ぶ様になり、たかゆき君のお家に遊びに行くことも、私が直接連絡を取ることも徐々に無くなっていった。中学、高校とたかゆき君の進路と交わることがないため、数年に一度、町でバッタリ会った時に少し立ち話をするほどの関係になった。

それから私も結婚、子育て、仕事で独立。東京(=浦安)にも住んだし、福岡にも住んだりもした。
そのため、たかゆき君とは15年近く会っていないと思う。

子育てをしていると、子ども達の体験を経由して自分の記憶が蘇ることがある。
こうして、最近はたかゆき君との様々なできごとを思い出してきた。

私は今「大変な事も沢山あるが、それも含めて充実した人生」が送れていると実感している。
人間関係を含め、色々と恵まれているなと思う。

疎遠になった、最初の親友のたかゆき君はどんな人生を歩んでいるだろう。大きなお世話だが、今彼は幸せなのだろうかとふと考えてしまう。
私以上に不器用だった彼は、環境次第でかなり「運ゲー」になり得ると思っていたからだ。

そうした時、母親経由で「今は東京でCGデザイナーとして働いている」との情報を得る。
アニメが好きだったから、コンテンツ制作の現場にいることを知り、勝手に嬉しくなった。

そうした中、子どもたちを連れてドラえもんの映画を見に行った。
劇中出てくるのび太をたかゆき君に重ねながら、90分子どもたちに付き合う。

疲れから後半爆睡していた私は、エンディングのスタッフロールで目を覚ます。
その時、スタッフの一人で彼の名前を目にする。「あ、ドラえもん作る側なのかよ…」

劇場の中で私一人だけ、違う満足感を得て涙を流しそうになる。
のび太が成長して子どもを連れ、もう一人ののび太が作った映画を見にきていたのだ。

色々な人の人生があり、くっついたり離れたりするが、例え離れたとしてその人の人生は動き続けることを強く実感する出来事だった。

画像は本文と直接関係ない、南城市のニライカナイ橋
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