3.思い出の味
Twitterを眺めていると、A&Wの「オレンジジュース、店内おかわり自由キャンペーン」告知投稿を目にした。
A&W(以下、エンダー)とはアメリカ発のファストフード店で、1963年沖縄に上陸した。
日本マクドナルドの一号店が1971年に開店したため、かなり早い時期に沖縄はファストフード店ができたことになる。沖縄県民のソウルフードだ。
※なお、1963年当時の沖縄は日本では無かったため「日本初のファストフード店」は正確さに欠ける表現となる
エンダーの有名メニューは、クセが強すぎて「飲む湿布」と呼ばれるルートビアだろう。観光で来る皆様には、根性試しとしてルートビアをオススメしている。そのクセ強ルートビアの影に隠れているのが、甘い甘いオレンジジュースだ。マクドナルドやモスバーガーのオレンジとは明らかに味の違う、「飲む砂糖」がエンダーのオレンジだ。
今から15年前、私は大学を辞めて上京し、働きながら当時の彼女とささやかな生活を送っていた。
二人で沖縄が恋しくなりながらも、割高の沖縄料理屋でソーキそばを食べ、雑貨屋で買ったスパム・ルートビア缶でどうにか紛らわせていた。実家から送られてきた「タコライスのチリパウダー」も重宝した。
そうした中でどうしても満たせなかったものがエンダーのオレンジジュース願望だった。代替品もないし、気軽な再現もできなかった。心にエンダーのオレンジの穴だけがぽっかり空いていた。
上京してから数年後、初めて沖縄へ帰省した際、私は狂ったようにエンダーのオレンジを飲んだ。涙が出るほど美味しかった。
私はオレンジを東京に持ち帰ろうと、2リットル600円(当時の価格)を複数本購入し、飛行機へ飛び乗った。
それから、風呂上がりに1杯だけオレンジジュースを飲むことが私の喜びになった。
仕事でどれだけ疲れていても、嫌なことがあっても、「家にはエンダーのオレンジがある」この響きだけで強くなれた。大都会の荒波に耐えることができた。
東京の地で、風呂上がりに飲むオレンジは有り難みが増してより旨い。大切に大切にオレンジジュースを飲む生活が始まる。
その生活を繰り返して二週間ほどが経ったころに事件は起きる。オレンジ2リットルはまだ数本残っている。あれだけ美味しいと感動していたオレンジだが、もはや美味しいとは感じなくなっていた。
私が飽きたからなのか、「一日一杯」の義務感が生じたからなのか、甘さよりも酸っぱさの方が勝っていた。まるで人生のようだ。恋人と結婚しても「甘い時間」は長くは続かないのだろうか?と通勤中の武蔵野線で深く考えた。東京での生活の不安も高まり、たまらなくなってきた。
「なぜ私はオレンジを飲んでいるのだろう?」とプラトンになった気分で深く考え込んだ。そして、オレンジジュースのボトルを見るとある一文が目に入る。
「保存期間2日」
謎は全て解けた。単純にオレンジジュースが傷んでいた(穏便表現)だけなのである。
残ったオレンジジュースをトイレにこぼしながら、私は吹っ切れた。
あれから15年が経った。
当時の彼女は妻となり、今でも甘い時間を送っている。
家族ができ、増えていった。
SNSで「オレンジジュース飲み放題」の情報を得て、子どもたちと張り切ってA&Wへ向かう。
「今日は沢山、オレンジジュースが飲めるよ」とルンルン気分で子どもたちに伝える。傷んだオレンジジュースをありがたがって飲んでいた15年前の自分を浄化させたかったのかもしれない。
天気のいい日曜日。妻は仕事で、私が子どもたちを連れてエンダーへ行く。
オレンジジュースを3つ注文する。サイズはSサイズ。どうせおかわりができるから。
最初の一杯を豪快に飲み干し、「おかわりお願いします」とスタッフさんへ声をかける。
帰ってきた言葉は「申し訳ございません、おかわり自由は平日のみのキャンペーンです」
愚か者の私は、またエンダーのオレンジの注意書きを見落としていたのであった。